理系研究者のしごとメモ

研究者の仕事や日常の一コマを綴ります。

「エイジ・フレンドリー」に感じる違和感 〜抜けている若者目線〜

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目次

「エイジ・フレンドリー」って何?

「エイジ・フレンドリー」という言葉をご存知でしょうか?
全国安全週間の標語にも使われたため、特に製造業に勤めている方は聞いたことがある人も多いと思います。
働く高齢者が増加しており、労働災害を減らすために高齢者の特性に配慮しましょう、という意味です。

端的に言えば、“高齢者”も働きやすい職場に、ということです。
厚生労働省が出しているガイドラインがこちらになります。
https://www.mhlw.go.jp/content/000691520.pdf

「エイジ・フレンドリー」に感じる違和感

高齢者が働きやすい職場を目指すのはもちろん大切です。
その点については異論はありません。

しかし、エイジ(age)は“年齢“という意味で最もよく使われます。
(もちろん"高齢者"の意味もあります)
“全年齢”で働きやすい職場を目指すというのが正しい姿でしょう。

それにもかかわらず、エイジ・フレンドリーで注目されているのは“高齢者”だけです。
“若者”にとって働きやすい職場、という点は全く考慮されていないのです。

若者のことを考えているのか?

例えば、最近高齢者と若者で意見が分かれている論争として、「電話かメール(チャット)か」論争があります。
(もちろん、真っ二つに分かれているわけではないのは承知しています。また、最終的にはその都度使い分ければいい、という結論に至りそうに思えますが、ここでは詳しく議論しません)

メール派の主張の一つに「若者は電話が苦手」ということがあげられます。
そうすると、電話派から「最近の若者は電話にすら出ることができないのか!」といった類いの批判が上がります。
スマホの普及のおかげで、最近の若者はほとんどラインなどSNSでやりとりしており、友達や恋人の家に電話する、といった習慣がありません。
今の若者は電話が苦手で当然です。

実際の仕事は電話がいい場面もあれば、メールがいい場面もあります。
電話が苦手な人(若者)は電話の練習をする、メールが苦手な人(高齢者)はメールの練習をする。
そのような歩み寄りを経て、電話とメールを積極的に使い分けを進めるべきだと思います。
それなのに、頑なに電話にこだわり、しょうもないことで何でも電話してくる高齢者の多いこと、多いこと。

電話とメールを例として挙げましたが、指導法や働き方などでも、多くの場面で若者を無視した慣習が多く残っています。
そもそも、若者のことを知ろうとしているのでしょうか?
時代の変化に対応しようとしているのでしょうか?

これからの時代を作るのは若者

我々は、もっと若者のスタイルに合わせることが必要です。
高齢者も若者も活躍できる「本当のエイジ・フレンドリー」を目指さなければいけないと思います。

これからの時代を作るのは、時代の変化への感度の高い若者です。
若者が働きづらい職場は、職場が時代の変化に対応できていない、ということです。
そのような職場環境でこれからの時代を生き残れるようなビジネスはできないと思います。

10代や20代がどのような価値観で生活しているのか、今一度見つめるべきではないでしょうか。

(自戒の念も込めながら…)

学生が社会人になる前にするべきこと3選

社会人として失敗しないために、社会人になる前にしておきたいことを3つ紹介します。

お金の勉強

知っていないと損をする、というお金のルールがたくさん存在します。

税金や優遇制度など、自分で取りにいかなければ情報は得られません。
NISAやiDeCoなど、知らない社会人も多いのが現実です。

社会人になるとまとまった収入が得られるようになります。
学生のうちにお金の勉強をしておきましょう。

FPの3級を勉強すれば、基本は抑えられます。
最近ではYouTubeやブログでも多くの動画や記事が無料で得られるので、活用するといいでしょう。

自己分析

「配られたカードで勝負するしかない」

というかっこいい名言があります。
しかし、自分の手札をちゃんと知っている人はどれだけいるのでしょうか?

私の後輩が就活していた時の話です。
不幸なことにその後輩は就活がきっかけで鬱病になってしまいました。
精神科医に診てもらった際、初めて自分が発達障害だったことを知ったそうです。

自分の身体のこと、心のこと、意外に分かっていないことも多いのではないでしょうか。
特に性格などの心の面は知識として得られる機会が少ないです。
心理学や脳科学といった勉強を積極的に行うことをお勧めします。

習慣化を見直す

社会人になると「勉強しろ」と言って管理してくれる人はほとんどいなくなります。
だからこそ、日々の積み重ねとなる習慣の違いが、大きな差となって現れるのです。

もちろん勉強に限りません。読書、運動、健康、食事、思考法、話し方、SNS
30代以降になると、その差は如実に現れます。

そうはいうものの、何かを継続する、或いはやめるというのはとても難しいことだと思われがちです。
しかし、良い習慣を作る・悪い習慣をやめる、ということには、ちょっとしたテクニックがあるのです。

習慣化について記した本は多く出ていますので、手に取って読まれることをお勧めします。

学生だと、昼夜逆転している人もいるかもしれません。
早いうちにできるところから習慣を見直しましょう。

 

お金の勉強、自己分析、習慣化。
この三つが私が考える社会人になる前に学生がすべきことです。
何かの参考になりましたら幸いです。

実験するときは仮説を立てろ

実験するときは、必ず仮説を立てなければいけません。

当たり前のことのように聞こえるかもしれません。
しかし、研究をしていると意外と抜けてしまうことがあるのです。

仮説とは端的に言えば、「〇〇を行えば△△のような結果が得られるはずだ」というものです。
これを検証するのが実験になります。
そして、研究には何かしらのゴールがあります。
最小の労力と最短の時間でそのゴールに辿り着くには、適切な仮設と検証方法の設定が必要です。
研究者の力量が試されます。

しかし、研究者の多くが体験しているように、仮説は外れます。
想定外の結果というものが頻繁に得られるのです。
仮説と違う結果、というのは、研究者にとってダイヤモンドの原石です。
これまでの知見とは異なる結果が得られたのですから。
何か見落としている要素が隠されているため、
新しい発見に繋がったり、最低でも自分の知識を深めたりできます。
新しい研究テーマの創出につながることもあるため、そもそものゴールが移動してしまうこともあります。

明確にゴールが決まっている場合、別の仮説を立てて検証を繰り返します。
それでもなお、仮設が外れ続けると、精神的に辛くなってきます。
そのようなとき、仮説を立てることをせずに、実験をしてしまいがちなのです。
何となく一つの要素を変えてみる、適当に試薬を混ぜてみる…

そのような状況は往々にして無駄です。
そもそもの前提条件が間違えている可能性が高い。

仮説なき実験は時間と労力の無駄。忘れないようにしましょう。

議論の鉄則〜意見と人格を人格を切り分ける〜

あなたが社内の会議や議論で自分の意見や考えを否定された時、どうしますか?
怒りますか?ショックを受けますか?反論しますか?なんとしても自分の意思を通そうとしますか?

 

最近、同僚がアイディアを否定されて不貞腐れたように「自分の意見が否定されるのは嫌だ」と呟いていました。

何故同僚は不機嫌になっていたのでしょう?

それは意見と人格を切り分けることができていないからです。
意見を否定することは、その人自身を否定することではありません

会社や組織の場合、個人の感情などどうでもよく、達成されるべきは利益の最大化です。
自分の意見を否定されたとしても、より良い意見が採用されればそれで良いのです。
様々な意見を出すこと自体にはとても大きな意味があり、抜け漏れを防ぐ効果や意見を言いやすい雰囲気を醸成することができます。
議論の活性化にもつながるでしょう。
意見を言わないことの方がよっぽど問題なのです。

他人に意見を言ったり、大勢の場で発言することはとても勇気のいること。
まずは、意見を発信できた自分を褒めるべきです。

意見を否定しても人格を否定しないということは、他者の意見を否定する時にも重要なことです。

人格攻撃をしてしまうと、議論は本筋から必ず外れます。
そして議論が終わった後にも両者の間に禍根が残ります。
組織にとっては大きなマイナスです。

 

議論をするときは意見を否定しても人格を否定しない。
大事な議論のルールです。